今夜も電話のベルが鳴った。
私は恐怖に慄いた。
もはや電話は取るまい。あの無気味な、そして恐ろしい地獄からの声を聞くまい。
そう思って、耳を塞ぎ布団の中に潜り込んだ。
しかし、電話のベルの音は、冷たくせせら笑うように私の耳を通して大脳の真髄にまで侵入してくるのだ。
そして、暗示に掛かったように受話器を取る。
すると、受話器を通して地獄からの子守唄が聞こえてきて、瞼が重くなって受話器を持つ手も力がなくなり、あの地獄の声が繰り返し繰り返し聞こえてくるのだった。
毎晩のように電話のベルが鳴るようになったのは、丁度今から一ヶ月前のことだった。
一ヶ月前のあの夜。
私は自慢の自動二輪に乗って、他の仲間と共に夜の街を飛び回っていた。
暴走族などと人は言って、私たちのことを侮蔑の目で見ていたが、私達は全く気にもしておらず、逆にそんな奴らを見るのが愉快でならなかった。
何も言えない、何も出来ない蛆虫共め。
政治がなんだい、経済がどうしたというのだ。
俺達は俺達で、自由気ままに生きるだけさ。
警察が怖くて二輪に乗れるかってんだよ。
速度メーターは百キロを越えているのが常だった。
まさに死と隣り合わせの中に身をおいて、スピードとスリルに酔っていた。
しかし、つい調子に乗り過ぎた私は、スロットル全開スピードアップしたのだ。
後続の仲間達も同じように私の後を追ってスピードを上げてくる。
かくして、ものすごい迫力のあるスピードレースが始まった。
追いつ追われつの激しいラリー。
だが、私のマシンにかなうものはいなかった。
次第にその差が広まる。
後の方で明滅するヘッドライトをバックミラーで見ながら、私は悦に入っていた。
それにしても、このスピードとまともに食らう風の風圧は、ともすればハンドルから手を離してしまいそうなくらいにすさまじい。
側方の風景は、線となり面となって流れるように、かつ吹き飛ぶように後方へと消えてしまって、何が何だかさっぱり判らない。
ただ前方峡界しかはっきりとは判らないのだ。
その前方峡界に、人影がヘッドライトの光を受けて浮かび上がった。遠くて判らないがおそらく、横断歩道を渡っているのであろうが、向こうはこちらに気づいているだろうし、急にスピードを落とすのは安定を失って危険なので、少しずつスピードを落としていった。
ところが、相手は遠くにいると判断して悠然と横断しているし、私もまた……。
ガツン!
気がついた時には、そいつは宙を飛んでいた。
そして地面に再激突して死んでしまった。
アッ!
という間の出来事で、奇跡的にも軽症で済んだ私は、後から来た仲間にわけを話し相談して、死体を放っておいて逃げることにしたのだった。
翌日。
私は、新聞やテレビに目を通してみたが、昨夜の事件のことは一字一語として報道されていなかった。
そんな馬鹿なことがあってたまるか!
ひき逃げならば、どこの報道部も放っておくわけがないではないか。
どうして公表されないのだ。
私は内心ほっとすると共に、そのことが気になって仕方がなかった。
そして、夜になり時が経つに連れて、人を殺したという罪悪感が次第に私の心を責め立てて、眠ろうにも眠られなかった。
電話のベルが鳴った。
もしや警察……。
私はそう思って、鳴るがままにしておいたが、ベルの音は妙に生々しく静かに鳴っていて、私は意志とは無関係に受話器を手にしていた。
受話器の向こうから何かしら曲のようなものが流れてきて、何となくそれは子守唄のように思えた。
次第に全身の力が抜けていく。
そして、四十五回転のレコードを三十三回転にしたような、ゆっくり低い無気味な声が聞こえてきた。
「わたしは、地獄の支配者閻魔大王。一ヵ月後の夜におまえの審判が下されるであろう。釜ゆでがいいか、針の山か、それとも……。だが、おまえは死ぬこともできずに永遠にその苦しみが続くのだ。永遠にな! 地獄がおまえを待っているぞ」
閻魔大王だと?
私は、誰かの悪戯だろうと思った。
しかし、それからというもの毎晩のように電話が鳴り、地獄の声が繰り返されていた。
私は次第に不眠症になり、もはや疑う心を失ってしまった。
それでも容赦なく電話は鳴り、暗示に掛かったように受話器を取って耳にしてしまうのだ。
その時だけは、眠くなったように感じ、力も抜けてしまうのだが、声が途切れてしまうと、我に返ったように前よりもさらに目が冴えて眠れなくなってしまうのだ。
私は極度の不眠症になり、もう何日も一睡もしていないので、脳は休み暇もなくオーバーヒート気味である。
私は生きる気力もなくしていた。
ただ生きているだけで廃人同様であった。
そして、今夜の新月の夜、電話のベルが鳴った。